肥後菊池家十三代惣領 菊池次郎武重末裔のHPです。



菊池一族FAQ
あなたの知りたい菊池一族への疑問と答えをまとめてみました。
菊池家の家紋について

菊池家は、六代隆直の時、阿蘇神社神紋「違い鷹の羽」を下賜されています。
しかし、現在の、多くの文献には、「違い鷹の羽」紋は、元の菊池家の家紋ではなく、「最初から菊池家の家紋は「並び鷹の羽」の紋である。」と、書かれています。
それでは、なぜ菊池家が格上の神紋「違い鷹の羽」を用いずに、分家や支族の方が、より氏神様に近く、格上の神紋「違い鷹の羽」を用いたのか、説明が不可能です。菊池家は、当時、阿蘇神社の氏子でしたから、一族が信者としてその神紋を用いるのは当然であり、神紋以外を家紋にする意味はありません。阿蘇神社の神紋「違い鷹の羽」を、菊池一族の精神的な支柱として戦場に打ち立て、そのご利益とご加護を得たかったのでしょう。阿蘇大明神の神紋は、菊池一族の命運を左右するほどの力を持つ、戦勝祈願のための旗印であったものと考えられます。
下に、菊池家の家紋の疑問にQ&Aのかたちで、お答えをいたしました。
(異論、反論は、「掲示板」に書き込みをお願いいたします。)
Q,1
菊池家は、六代隆直が神紋「違い鷹の羽」を下賜されたのに、なぜ「並び鷹の羽」紋を用いているのか? 
A
庶流の豊田武光が、後醍醐天皇より下賜された「並び鷹の羽」紋を用いた。
後に、豊田武光が菊池次郎武光と改名して、菊池家の十六代惣領となり、代々、武光以降の子孫が用いるようになったから。
Q,2
菊池家の支族が神紋「違い鷹の羽」を用いているのに、なぜ菊池家は「並び鷹の羽」?
A
菊池家は、豊田武光の時代から、後醍醐天皇から下賜された「並び鷹の羽」紋を用いた。
また、支族でも豊田武光と密接な関係のある支族は、「並び鷹の羽」を用いている。
しかし、武光以前の分家や支族は、それまでの菊池家の家紋「丸に違い鷹の羽」を用いている。
Q,3
蒙古襲来絵詞の「並び鷹の羽」紋は、どう説明するのか?
A
絵師が、家紋を描くにあたって、菊池家の家紋は、「鷹の羽が二枚の家紋である。」との竹崎季長の指示で、絵師がそれをもとに想像で描いたのだろう。このため、羽の縞模様や羽の形状が「並び鷹の羽」紋と違っている。この時代に、「並び鷹の羽」紋は使われていなかった。また、「蒙古襲来絵詞」に描いてあるそれぞれの家紋は、次のコラムにあるように、正確な家紋が描かれているものではないことも判明しています。
Q,4
太平記に書かれた菊池武重の「並び鷹の羽」紋は、どう説明するのか?
細川頼之の管領就任まで(1318年 (文保2年) - 1368年(貞治6年)頃までの約50年間)の軍記物語であり、太平記は、豊田武光の絶頂期に書かれたもので、家紋は武光に下賜された「並び鷹の羽」を菊池家の代々の家紋と勘違いして書いたのだろう。
Q,5
つまり、菊池家の代々の家紋は、、、?
「日足紋」、「丸に違い鷹の羽紋」、「並び鷹の羽紋」と替わっているの?
A
菊池家は阿蘇神社の神紋「違い鷹の羽」を、阿蘇家より下賜されて用いたのが真実であろう。
菊池を冠する家々や菊池家の支族の家々の家紋は、ほとんどが「丸に違い鷹の羽」紋を用いていることからも間違いない。
後年、庶流の豊田武光の時代から、「並び鷹の羽」の紋を用いたようである。




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